こんこん靴市2019
さて、気になるけど結局どんなものがあんの?って思われがちな有名イベントの一つ「こんこん靴市」に行きました。
冬の「靴のめぐみ市」も以前行ったことあったけど今回の方が買い物したので報告を上げます。
※まずわたくし靴のサイズが26cmのため、こういったイベントでの靴の購入はほぼほぼ諦めております。なので靴が欲しい方の参考にはならないかもですが…オヒマナラヨンデネ
えーと、靴のほかにバッグやらベルトやら、いわゆる服飾小物が多く売られております。
1点目(ブランド不明)
ワゴン(ダンボール)セール 2000円
とりあえずコンサバティブな格好の時全般に持ち歩ける、素材が柔らかめで自立もしてそれなりに荷物が入るバッグ
2点目 FIRANO
ワゴン(ダンボール)セール 2000円
通勤に使いたいトート。中が可愛い。ポケットもちゃんと黒いパイピングがされてる。
3点目 ブランド不明(でもこの感じ、おそらくセレショにおろしてたのかな?)
800円って書いてあったけど、ゴブラン織りに髑髏の持ち手っていうクセが強くて売れなかったらしく500円にしてくれた
マーチンにワンピース、みたいな時に持ちたい。かわいい。
4点目 fillil
ぱっと見で可愛くて買ってしまったけど、リンネルなんかによく掲載されてるブランドなんだね。上代一万超みたい。でも3900円。
折り畳まれていて分かりにくいけどシャツワンピース。膝ちょい下くらい。
何がかわいいって、カワウソらしきいきものがお仕事してる。SM2のワンピースとかたまに買うだけあってこういうやつも好き。
結論:
8400円でバッグ3点、ワンピース一点買える楽しいイベントです。
靴は基本ビジネスシューズが多かった。
あとパンジーっていうんだっけ?おばちゃんの歩きやすい靴も叩き売られてるからおっかさんと行くのもいいかもです。
みんながみんな、みんならしく
ジェンダーバイアスから自由になった世界って、個々が個々らしくいられることを誰にも妨げられるものでもからかわれるものでも敢えて指摘されるものでもない夢のような世界、とわたしも言いたい。
当たり前だけど「女子は女子らしく、男子は男子らしく」の対義は決して「女子だけどボーイッシュに、男子だけどフェミニンに」ではない。
みんなもっと好き勝手にすればいい。
30の坂を越えた今なお、スキニーデニムにTシャツみたいなライトな格好で数日過ごしてからコンサバティブなタイトスカートにニットで現れたら「今日女子っぽ〜い!デート?」だなんて言われるって本当に嫌な世の中。特に同性に言われるとムカつく。立派なセクハラだと思うんだけど。
まぁ、わたし自身がステレオタイプな「女児の好みそうなこと」を割と手広く制限されて養育されていた反動で、敏感に気にしているだけかもしれないけど。
(ちなみにロングヘアは近所の床屋に連れていかれてショートカットにされ、ぬいぐるみはダンボールに詰められてゴミに出され、りぼんやなかよしは購入禁止という目的のよくわからない養育の方針。)
あと、ダサい人にファッションのこと何も言われたくないってのも確実にあるけど。
(わたしの職場には常軌を逸脱するレベルでダサい、というか不安になるような格好でウロウロしている人たちがビックリするほど多い。年齢問わず。主に女性。)
楠本まきの「kiss xxxx 」とゆー80年代の漫画があって、中学生の頃に初めて読んでからいまだに好きな漫画10作品あげろって言われたら100%あげるくらい好きな漫画なんだけど。
わたしだってかめのちゃんになれるものなら今もなりたい。
来年原画展やるのか。とても行きたい。
https://m.huffingtonpost.jp/amp/entry/story_jp_5cab1d5be4b047edf95d101e/
頭がおかしくなったのかな
情緒不安定を時々突破してる自分に気づく。
情緒不安定気質の人はよくわかると思うけど、なんか特に何かってこともないのにすんごい落ち込んで涙が出てきたりする。
最近これが無い。
落ち込んで「あー、やばいやばいこれはもう涙でちゃう電車の中なのに」っていう感覚にはなるんだけど、涙が出ない。
落ち込むと社会生活にも障るし、いい加減この歳でこのままじゃいつか縊死って死亡診断書に書かれかねないので、最近はメンタル強化的な怪しい自己啓発ワークを調べては取り組み調べては取り組みしている。
こういうのは得てしてスピ系のものにも行き着くんだけど、自己啓発とスピ系の狭間みたいなヤーツも割と突き詰めると普遍的なことを言ってたりして、100%インチキくさいとも言い切れないものが一応存在してる、ということがわかる程度には色々調べてみた。
で、結局いま妄想に取り組んでる。
かなり詳細な妄想。
話が飛躍しすぎてわけわからん、という流れになってきたけども。
落ち込んで涙が流れなくなった代わりに、今や妄想で心が暖かくなりすぎて涙が出るようになってしまった。
今日は夜景を見ながら手を繋いでいるカップルの後ろ姿の写真を見て妄想していた。
手が触れ合って、そこからほんの一瞬で手を繋ぐまでの数秒を妄想したら、思わず手が暖かくなった気がして心が暖かくなって涙が出た。
同じ妄想でも被害妄想よりは幸せな気持ちで流れる涙の方が尊いからいいんだろうけど、正直このまま統失にならないかはちょっと心配してる。
ちょっとだけの未来が提示されていた日の出来事
俗に悲しいとか頭にくるとか、そういう感情に陥ってしまうような突発的な出来事に遭遇すると、思考が鈍って自分の感情にたどり着けない。
それでも、何かを言葉にするのを躊躇しながら左手で右手の甲に延々と爪を立てていた。
涙だけが流れていた。
そういえばその日、手の甲を痣だらけにするその何時間か前、気まぐれに引いたオラクルカードに書かれていたのは「信頼」だった。
ビリージョエルは誠実さについて、なんて孤独な(虚しい)言葉だろうかと歌っていた。
自分が信用されていないと思うことは人をとても孤独にさせる。
目の前の他人に対して、わたしを信用してないのか?と問うことを咎める人はいない。
だけど責任転換ではある。
それは信用にはある程度根拠が必要で、でもその根拠を見つけられないあなたに非はありませんか?と説いているも同然だから。
そうか。
わたしは、信用しない・信頼しないという非を指摘され、信用も信頼も失墜する出来事を目の当たりにしたことに混乱していたんだ。
最後に、ビリージョエルは辛い結末を知るまで、安心に浸ってられるとも言っていたね。
わたしたちはこうして、心を冷やして年を重ねていくのかな。
新感染 ファイナルエクスプレス(ネタバレになっちゃう方)
http://umiushi0817.hatenadiary.jp/entry/2017/09/10/201450
こっちにも書いたけど、ネタバレになるだろうからオマケをこちらに。
キッズが「Aloha Oe」を歌っていて助かった!というラッキー展開で終わるわけだけど。
Aloha Oeってコレ…ストーリー展開的に助かる歌じゃないよなぁ、すげー暗喩だなと思った。
Aloha Oeってハワイのあの曲だけど、歌詞ってまぁこんな感じで
↓
雨が誇らしげに尾根を横切り
森の中を通り抜けていく
未だ開かぬ蕾を探しているかのように
山あいに咲くレフアの花よ
木の陰に佇む心優しき人
去っていく前にもう一度あなたを抱きしめよう
また会えるその時まで
懐かしく暖かい思い出が胸をよぎる
ついこの間のことのように
愛する人よ 我が愛しき人よ
真心は決して引き裂くことはできない
私はあなたの素晴らしさをよく知っている
マウナヴィリに静かに咲くバラの花
そこにいる啼かない鳥たち
木の陰に佇む心優しき人
去っていく前もう一度あなたを抱きしめよう
また会えるその時まで
この曲の様々な解釈の中でも「アメリカの支配下となり祖国が滅びゆく様を女王が歌にした」っていうのがやたらにしっくりくる。
雨(ゾンビ)はまだ開かぬ蕾(ゾンビと化していない人間)を探してる。佇む優しき人(ゾンビになる寸前の愛しかった人たち)の元を去って行く前にもう一度抱きしめたい(ケド、ちょっとそりゃ無理)。
あのキッズの人間性を鑑みると、博愛の精神に溢れた聖母のようである。
そんなキャラクターがこの歌を歌うという意味、である。
つまり、時間の問題なだけで釜山もゾンビに埋め尽くされるか、運良くそうならなくても軍によって隔離されるかだろう。
なんてったって、この曲を作ったと言われるハワイの女王は王位を追われて幽閉されるという運命を辿っているそうだ。
ふ〜む、邪推しすぎだろうか。
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新感染 ファイナルエクスプレス
話題ですね。観てきました。
結論から申し上げるとすごい面白かった。
もう既に色んなところで書かれている通り、なんせ特急電車なもんで電車に乗っちゃった不幸なみなさんの死出の旅が始まったと同時にほぼリアルタイムで現場を見ているかのような時間感覚がスリル感を高めていること。
なんだか知らないけどゾンビになったらやたらに身体能力が上がっちゃって(ただし、ドアをうまく開けたりは出来ないので脳機能は著しく低下しているのかと…)、すっげー早く走ってくるわ走ってる電車に飛びついてくるわ、「インドの電車でググって出てくる画像か!」とゆーくらい車両にゾンビてんこ盛りな絶望感。
両親が離婚して離れ離れに暮らすカーチャンに会いたいムスメやら、なんの商売してんのかわかんないけど羽振りの良さそうな格好したコワモテのにーちゃんと妊娠中のその奥さんやら、好きな男子が大会に出るからって応援団長になったJKと野球部一味とか、おばあちゃん姉妹とか、とにかく誰が助かるのか推測しにくくした乗客のキャラクター。
そりゃどんなバカが観たって絶対に面白い。
じゃあそんな分かりやすいエンタメ作品を観た感想を敢えて記す理由って?というところだけど。
まずフィクションとリアリティの狭間のバランスがとっても絶妙だなと感心。
ざーっくりホラーを考えてみると、心霊モノはそもそも人間に普通見えないからこそ、何が原因で起きているかわからない事象と結びつけることでリアリティを生むことができるし、憑きもの系や狂人系(シャイニングはどっちでもあるか)はむしろ人間だけだし。
但しホラーの中でもゾンビもの、というかゾンビってまだこの地球上にはいない(私が知らないだけで実はいるのかもしれないけど)ので、もうゾンビ映画ってだけでまるで魔法少女アニメのような鼻で笑っちゃうようなところがあると思っていて。
要するに見ていて怖い思いを最もしない映画でもある、ということにもなりかねない…ので、やれ場所を変え、やれどんなキャラクターがゾンビになるかを変えてそれに伴って人間模様を展開させてみて、それともじゃあ今度はどんなゾンビがいる体にしようかな☆みたいなスペック変更もありーの、で沢山のゾンビ映画が誕生してるのかなーなんて思っていた。
↑
とか言いながらそもそもそんなにゾンビ映画観てないんですがね。
まぁ結局、人間の葛藤ドラマと社会のパンデミックへの対応でしかリアリティは出しにくいのかなーと。
例えば身内が誰かの犠牲になって死ぬ。
「ここは俺に(アタイに)任せてお前らは逃げろ!絶対○○を守れよ!」←なんならここに「ありがとな、お前がしてくれたことは忘れないぜ」的なセリフが入ったりする。(偏見)
あるあるなんだけどもちろんあるあるだからこの展開も勿論あって。
だけどそんなシーンで自己犠牲さんの身内が泣き叫んで〜みたいなところが案外さっぱりしてる。
生き物としての生への執着だよねーっていうトコあるよね。
かと思えば混沌とする状況の中で「もーこれ助からなくない?つか、なんでこんな状況下でお前ら助かろうと思ってんの?図々しくない?(笑)」的ないやーな悟りを開いてしれっと自爆ボタン押しちゃったり。(←なるべくボカして書くとこの表現しか見当たらなかった)
この、同一条件下の中でさらに類似事案にぶつかった時の人間の思考の個性とかすっごいリアルだな、と思った。そりゃ同一コロニーにいるからって分かり合える人たちばかりじゃないよ。
あと、ストーリーのスピード感を落とさないように「え?泣ける?でも泣いてる場合じゃないんすよ?(笑)」というメッセージを痛烈に感じるドライな作りが徹底してるところが素晴らしいなというね。パニックムービーに絶対いるめっちゃイヤな奴が「こんなに生き延びるのか!(笑)」とかね。
ストーリーの時間感覚とスピード感を「目的地への走行速度」に合わせている脚本も良くできてるなとも思った。
ドライさを貫きながらも、一応わかりやすく泣けるシーンもちゃんと用意されていて、もはや目的地へ急ぐことも出来ないシーンにそこをぶつけているなと感じて、ほぉ〜、と感心してしまった。
ラストは希望のようで、わたしは実は希望ではないと思った。だってあの歌…
余談だがおばあちゃん姉妹(妹)役の人がアンチエイジング系のお直しのしすぎなのかわからないけど、おばあちゃん役なのに、まるで志村けんのコントで若手のタレントがおばあちゃん役やってるみたいな異物感だったり、そういう細かいところだけど韓国っぽいなぁとか思ったのは内緒である。
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相互理解はとても難しい
今は仲良く遊んでいる仲間達も5年後、10年後、誰も遊んでくれなってしまったらどうしたものか…
恐らく独身の人間なら一度は頭を過るのではないかと思う、杞憂であってほしいけど割と現実味を帯びた未来予想図。
で、年に何回か↑みたいな状態になって、恐ろしく感じることがもちろんわたしにもある。
あたりまえだけども人間は一つをとったら一つを捨てなければいけないわけでは無い。
ざっくりと仕事、趣味、恋愛なんて上げてみて、これらは全て別のベクトルのものなんだけどね。
つまり、どれかを満たしていれば他が満たされるなんてあり得ないのが当然で。
寝て空腹は紛れるけど食欲は満たされないのと一緒なわけで。
ただ、いくつものアンテナから少数を厳選して、そこに注力することによって他の事への気分のチラつきを極力減らすというのもそれはそれで一つのやり方であるとも思うし、それがその人に合っているならそうするのもいいんだろう。
だけど、それを他人が何か言うのはそれこそナンセンスだと思うんだよなぁ。
○○さんは仕事に生きてる人だから、恋愛とか必要としてなくてカッコいい!的なヤツ。
それ本人に絶対言ったらダメなやつだからな。
人間って不器用で仕方ないから、そう言われたらそう演じてしまったりするんだよ。
悲しいけど、そのパブリックイメージを良いとも思ってないのに道化になる人達を見ると、本当になんて残酷な事を言うんだ…と怒りが湧いてきたりもする。
ちなみにこのまま孤独死コースかな?と垂れ流してたら、結婚がゴールじゃないですから!って最近言われたけれども。
スタートラインにすら立ててないから気持ちが落ち込むんだよ、わかるか?( ^ω^ )である。
同じ教室で、あるいは同じ給食や食堂で、はたまた同じ年に入社して、同じ道を歩いていたわたしたちは、いつからお互いが見えなくなってしまったのだろう?
なんてセンチなこともあるかもしれない。
ホントはもっと単純で、アンタとは違う世界の人間だからそんなこと相談されても困りますから(笑)ってことなのかもな。
相互理解ってとても難しい