(ir)rational belief
※26くらいのとき、当時付き合っていた人と別れて腐っていた頃に書いたものを見つけましたが、腐ってるなりにも案外ちゃんと文章になってるのでせっかくだからあげときます。
昨日は2時間くらいお出掛けしましたが、120分程度なりに色々あって、結局なにもしないまま具合が悪くなり引き返す始末…(´・ω・`)
他人こえー。超こえー。
つまり、行動に伴う思考の変化を求めたんだけど体に拒否されてやんの
何もせず考えてるだけ→漫然と脳が刺激から守られた状態で思考し続けているだけ
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これは思考の堂々巡りに陥りやすい
何かしながら考える→脳に刺激を与えることにより思考を変化させる
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堂々巡りを阻止する働きがある
何となく自分に言い聞かせての行動でしたが、理論的には間違っていないらしい
と言うのも今日は様々な文献の考察サイトなんて見てたわけです 。
「行動せずに思考・認知のレベルで考え続けていても思考をテキストにする特殊な職業(作家とか)を除いて、状況や気分の肯定的な変化は望めない」…んだそうです 。
他にもなかなか興味深いことが
これはかなり重要なことかもしれない!
人間の思考パターンを二分すると、合理的な信念(自己評価を高める思考パターン)と不合理な信念(自己否定的な思考パターン)にわかれるらしい 。
で、不合理な信念に基づく思考パターンがネガティブ思考だったり生きづらさを生み出している…そうです 。
結果から言えば、この不合理な信念に基づく思考パターンを合理的な信念に基づく思考パターンにシフトチェンジさせることにより、ざっくり言えば人生を楽しむことが出来るらしいです。
では、不合理な信念に基づく思考パターンの根底には何があるの?と言えば、「自己のアイデンティティが他者の評価や承認に依存している状態」であり、これは「他人から評価されなければ存在意義を実感出来ない」とか「社会に貢献出来なければ生きる意味がない」とか「誰にも愛されない人生なら生きる意味はない」という他者頼りの脆弱な自己認識状態である 、ということで。
これの何が危険なのか…といえば。
「他者の評価・経済的成功・異性からの愛情・社会への貢献」=「生きるための絶対的な必要資格」と思い込んでしまうため、資格が満たされていない状態に陥った場合に自己否定的な感情に支配されてしまう、ということです 。
この、「~しなければ、~できなければ、~でなければ生きる価値はない」という発想そのものが不合理的な思考パターン 。
皆さんは当てはまりますか?
私は、正に自分のことすぎてちょっと心配になりやした 。
私はこういう精神衛生的な学術には明るくないのですが、そんな私でも興味を持って読み進めてしまいました 。
「他人の評価」と「自分の価値」は同一ではない 。
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これ大事!とても!
まぁ、こんなことを書いてたみたいなんですが、結局のところ自分自身を最も苦しめる存在って自分自身なんですよね。
思い込みってのはここでは強迫観念みたいなものなんだと思います。
ネガティヴの自己暗示、みたいな。
自己暗示の話については、SMの世界を通じて考えたことがあるのでまた別途まとめたいんですが。
で、問題は四年前こんなことを考えたりしていたはずなのに今がこの体たらくという現実。
結局頭で考えてるだけじゃあなんにもならん、ということを今改めて思えただけでも儲けモノ…でしょうか。。。