ノリコのお布団で添い寝ブログ

ファンシーな煩悩のOLさん

備忘録

(以前FBで書いたものですが、忘れてしまわぬよう備忘録としてここに残すというだけです。)


もしもセヴェリーンとワンダをオタクとその対象物とで考えるなら、「コントロールしているようでコントロールされている」ということが共通項かと思います。
ぼんやり眺めればワンダに「与えられる」セヴェリーンの姿を、例えば某アイドル総選挙に「投票する」ファンの方々と比較して別の角度からみると、与えることをワンダに望むセヴェリーンと投票するためにCDを購入するファンの姿もそこにはあります。
何れにせよ、完全にコントロールされ切ってしまったならいつか関係は崩壊する場合も多いと思います。
望んでもないことばかりされるようになっては堪ったもんじゃないですし(人によるとは思いますけどね)、アイドルをファンがコントロールするなら彼ら彼女らは日の目を見ることは勿論無く、粛々と活動することも儘ならない状況下でのトラブル三昧となるのでは無いかと。

オタク文化と言いますが、そもそもオタクと呼ばれる彼らが急に台頭してきたわけではなくて消費者集団の一つとして認知されるようになった、というのが正解なのではないかと思います。
度々メディアで取り上げるのは、モノを売りたい人たちに対する一つのマーケットの提案だと思っています。結果、食い物にされていますが、それでもある程度は満足しているから金銭を落としてくれるわけで。
そのマーケットを対象にアニメは作られ、アイドルは誕生し、企業は利益を上げようと必死なんだなと思います。

少し話が逸れましたが、「ある程度の需要」これが無ければセヴェリーンとワンダの関係も、オタクの消費行動も始まらないという点も共通しているかなと。
セヴェリーンが望んだからこそワンダとの関係は始まり、潜在的にオタクが望んでいたものを出さなければ消費行動は起きない。
個人対個人の関係で無いぶん、現実のアキバカルチャーに関する事柄は一方向的な関係では説明が尽きませんが、メディアのおかげでマーケット拡大はとどまることを知らず、つまりそ子に対する産物は既にオタクだけのものでは無くなっています。
アイドル、アニメ、ゲームなど容易に想像のつくそういったアキバカルチャーの多くはもうサブカルチャーではなく、既にメインカルチャーです。
メインカルチャーを好む人たちを今だにオタクと呼ぶのか?
オタクと呼ぶ前提で考えるなら、オタクとオタクじゃない人達との境はどこなのか?
など、多くの疑問もある時代になりましたね、という感想です。

記事本文は、ちょっと結びつけるには強引すぎやしないかと思いましたが、つまりこういうことなのかな、とわたしは思いました。