か た む き
某劇団の舞台を観た。
なんか傾きすぎてて馴染めない。決して自分が保守的思想なわけでもないけど、ひいた。
そして周りを見回して思うところいろいろ。
各々のオリジナリティを客観視するための他者って、決して国境を境に分かつもの同士でないといけないなんてことはないと思うの。
確かにストーリーを作るに当たって、恐るる他者の存在として他国というモチーフを作るのは悪い方法じゃないと思うけど…
でも、主題が「各々の個性を認め合える社会を目指す」であるならば。
主人公が国と国になっちゃうのはどーなのかな?とか思ってしまう。
だって、それならば個人の個性じゃなくて国民の特性を認め合うっていう話になるなんじゃない?
それは人間ひとりひとりの個性やらアイデンティティを認め合うっていうのとは、また別の次元の話のような気がしてならない。
あくまで地域性、国民性を認め合うっていうのは、自分「たち」とは別の者であるっていう前提じゃない。
そこを認め合うのはタダの国交の正常化であって、そこに住まう人間ひとりひとりの単位でどうこうって問題にはなかなか繋がらないのではないかな、と思うのですががが。
で、こういう「やべー馴染めねー」感に気付いちゃうと、どんどん冷めて行きます。
例えていうなら、夢と魔法の国でキャラクター名を絶叫してる同世代とか見た時と同じ感覚。
最低だと言われても構いません。
そんな彼女たちを夢と魔法の国で腐った魚のような、正直蔑んだ目で見てますよ、わたくし。
あと、座ってられない子供を連れてくる保護者の方。
子供が嫌いなわけではないし、子供ははしゃぐもんだってことくらい分かってるんですが。
なんでその子がそこでワーキャーしちゃうのかって、子供にしてみたら集中出来るほど面白くないからだと思うんです。
だったらさ、キッザニアでも動物園でも、それこそ夢と魔法の国でもその子が楽しめるところに連れて行ってあげたほうがいいような気がしてしまいます。
子供が可哀想だな、と。つまんないものを黙って座って見てろとか、大人でも苦痛じゃないの。
あれ?こういうこと書くと怒られちゃうのかな…
やだ!やめて怒らないで!なんて、ね。
あー。喉痛い。