風立ちぬ
今朝レンタルしていたDVDを返しに行ったら、どうやら延滞していたらしい。
レンタルした時以上の金額を取られるあの虚しさ。
本当に無駄金ってこういうのを言うんだと知った。がっかり。
と、あまりにガッカリしてしまったので心情を吐露。
ようやく観てきました。
宮崎駿引退作品?「風立ちぬ」
全く観る気も無かったのだが、せっかくだから観ときましょうね、と、友人と観てきたわけです。
前置きが長くなりましたけど。
そんなジブリファンではないわたしの視点での「風立ちぬ」の感想です。
ポスターに書かれている「生きねば」の文句。
映画館を出て、表に貼ってあるポスターを見てまた涙出来るくらいストレートにテーマを込められていたなぁと思った。
二郎は幼い頃からの夢を叶えるも、自分の夢や希望とは関係のない、戦争の道具としてしか作品に価値は与えられない。
そして、勝てる見込などないと気付いてはいるが時代の流れを変えることなど一個人には出来るはずもない。
菜穂子は菜穂子で不治の病に冒され、治すことより自分に残された時間を取ることしか出来なかった。
そういう、一言でいえばどうしようもないこと。抗うことが出来ない絶対的な力の元、ほんの僅かな時間だけを共有することが出来た。
これは正に二人が生きていたからこそである。
どうあろうと、生きていなければなにも始まらないのだ。
菜穂子は二郎に「生きて」と言う。なかなかこんなこと、言ったりすることも言われたりすることもわたしたちには無い。生きていることも忘れてしまえる時代なのかもしれない。
いま敢えてここへ投下したこのストレートなメッセージは、今だからこそ観た人の数だけ意味のある言葉なのかもしれないと思った。
今回久々に劇場で観るので、せっかくだからと描写を観察してみた。
今作は二郎の夢の中のシーンが多く出てくる。
夢の中のシーンと現実のシーン。それを絵として描き分けている。
登場する人物の作画。ここを観るとよくわかるのだが、夢の中のシーンでは輪郭から顔のパーツまで曖昧な歪んだラインと極限まで簡略化した顔になっているのだ。
普段あんまりアニメを観ないので他所がどうかは知らないが、駿やりおるな。
久々にスクリーンで映画を観たけど、やっぱりたまにはいいものですね。