わたしはロランス
年末ギリギリで、アニメじゃない作品をシアターで観られたことにホッとしています。
気になっていた「わたしはロランス」観てまいりました。
ざっくりあらすじを書くなら、突然ステディな関係の男性が「女性として生きたい」とか言い出したために人生紆余曲折しちゃうカップルの話…ってところですが。
なかなか切なくてよかった。
パートナーに女性になりたいと打ち明けてからロランスの人生は様々な展開を迎えていくのだけど。
女性になりたいとロランスは言うけど、そんなロレンスの意見や考え方って物凄く男性っぽいなぁと思った。
だから「女性として老いていく」ってロランスが言うのはすごく自嘲的に聞こえる。
それは(わたしが自らの心身の性の不一致について悩んだことが無いから、一般的にどういうものなのか分からないけど)ロランスの女性になりたい(女性でありたい)気持ちを叶えて今ある姿って、ロランス自身もナチュラルなものではないと思っているところがあるような言動に現れているのかな、と。
ただ、女性として男性に欲情するような生き方や、男性として男性に欲情するような生き方を望んでいない、というところはそうではない人達が想像しがちな性同一性障害と少し異なっている、という点がロランスにはあって。
恐らくその点だけ見たらロランスの存在や願望って奇妙に映るのかもしれないし、奇妙に感じてしまう人にはこの映画の良さは伝わりにくいかもしれないな、と思った。
ロレンスのパートナーであるフレッドは、ロランスの告白以降どんどん精神的に追い詰められていって。
衝突はしながらも、一番の理解者になろうと一瞬でも思い、そばに寄り添う姿はそのシーンよりも物語がラストに近付くにつれてどんどん悲しさを帯びてくる。
この作品は二人の十年を見つめたものだけど、衝突して、砕けた欠片を二人で集める期間。集めてまたカタチにしたものを壊さないようにする期間。やはりまた砕けてしまった瞬間。一人で欠片を集める期間…この、「壊れて」「直して」の過程が切ないね。
でもわたしはこの過程から強く感じるものがあって。
併せて、好きな作品の傾向としては「風立ちぬ」もそうだったけど、やっぱり自分の意思だけじゃどうにもできない事が世の中にはたくさんあって、どうにもならないことの下でどうにもならない恋愛っていうストーリーがなんだかグッと来るほうなんだけれども。
この二人のどうにもならないことは、ロランスにとっては男性として生きている自分自身への違和感だったり、フレッドにとってはパートナーの存在そのものがどうにもならないのにロランスへの確かな愛情があることだよなぁ、と思っていて。
壊して直してまた壊れてしまって…
これはお互いに愛情があるからこそうまく行かない、本当に切ない話だな、と思う。
本当に、誰も自分たちを知らないところで二人で過ごせたらもう少し穏やかな時間を二人は持つことが出来ただろうし、でも二人ともこれまで生きてきた社会の中で生きていかなければならないから一緒にいられない。
自分たちだけの問題ではないし、社会が悪いわけでもないけど雑音が多すぎるんだろうな。
雑音は小さくヒビを入れてしまうんだろう。
ちょっと長いし見れば見るほど心が痛い作品だけど、よかったら皆さん是非ご覧頂ければと思う次第です。