ノリコのお布団で添い寝ブログ

ファンシーな煩悩のOLさん

新感染 ファイナルエクスプレス(ネタバレになっちゃう方)

http://umiushi0817.hatenadiary.jp/entry/2017/09/10/201450

 

こっちにも書いたけど、ネタバレになるだろうからオマケをこちらに。

 

 

キッズが「Aloha Oe」を歌っていて助かった!というラッキー展開で終わるわけだけど。

 

Aloha Oeってコレ…ストーリー展開的に助かる歌じゃないよなぁ、すげー暗喩だなと思った。

 

Aloha Oeってハワイのあの曲だけど、歌詞ってまぁこんな感じで

雨が誇らしげに尾根を横切り
森の中を通り抜けていく
未だ開かぬ蕾を探しているかのように

山あいに咲くレフアの花よ
木の陰に佇む心優しき人
去っていく前にもう一度あなたを抱きしめよう
また会えるその時まで
懐かしく暖かい思い出が胸をよぎる
ついこの間のことのように
愛する人よ 我が愛しき人よ
真心は決して引き裂くことはできない
私はあなたの素晴らしさをよく知っている
マウナヴィリに静かに咲くバラの花
そこにいる啼かない鳥たち
木の陰に佇む心優しき人
去っていく前もう一度あなたを抱きしめよう
また会えるその時まで

 

この曲の様々な解釈の中でも「アメリカの支配下となり祖国が滅びゆく様を女王が歌にした」っていうのがやたらにしっくりくる。

 

 

雨(ゾンビ)はまだ開かぬ蕾(ゾンビと化していない人間)を探してる。佇む優しき人(ゾンビになる寸前の愛しかった人たち)の元を去って行く前にもう一度抱きしめたい(ケド、ちょっとそりゃ無理)。

 

あのキッズの人間性を鑑みると、博愛の精神に溢れた聖母のようである。

そんなキャラクターがこの歌を歌うという意味、である。

 

つまり、時間の問題なだけで釜山もゾンビに埋め尽くされるか、運良くそうならなくても軍によって隔離されるかだろう。

なんてったって、この曲を作ったと言われるハワイの女王は王位を追われて幽閉されるという運命を辿っているそうだ。

 

ふ〜む、邪推しすぎだろうか。

 

 

 

 

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新感染 ファイナルエクスプレス

話題ですね。観てきました。

結論から申し上げるとすごい面白かった。

 

もう既に色んなところで書かれている通り、なんせ特急電車なもんで電車に乗っちゃった不幸なみなさんの死出の旅が始まったと同時にほぼリアルタイムで現場を見ているかのような時間感覚がスリル感を高めていること。

なんだか知らないけどゾンビになったらやたらに身体能力が上がっちゃって(ただし、ドアをうまく開けたりは出来ないので脳機能は著しく低下しているのかと…)、すっげー早く走ってくるわ走ってる電車に飛びついてくるわ、「インドの電車でググって出てくる画像か!」とゆーくらい車両にゾンビてんこ盛りな絶望感。

両親が離婚して離れ離れに暮らすカーチャンに会いたいムスメやら、なんの商売してんのかわかんないけど羽振りの良さそうな格好したコワモテのにーちゃんと妊娠中のその奥さんやら、好きな男子が大会に出るからって応援団長になったJKと野球部一味とか、おばあちゃん姉妹とか、とにかく誰が助かるのか推測しにくくした乗客のキャラクター。

 

そりゃどんなバカが観たって絶対に面白い。

 

じゃあそんな分かりやすいエンタメ作品を観た感想を敢えて記す理由って?というところだけど。

 

まずフィクションとリアリティの狭間のバランスがとっても絶妙だなと感心。

 

ざーっくりホラーを考えてみると、心霊モノはそもそも人間に普通見えないからこそ、何が原因で起きているかわからない事象と結びつけることでリアリティを生むことができるし、憑きもの系や狂人系(シャイニングはどっちでもあるか)はむしろ人間だけだし。

但しホラーの中でもゾンビもの、というかゾンビってまだこの地球上にはいない(私が知らないだけで実はいるのかもしれないけど)ので、もうゾンビ映画ってだけでまるで魔法少女アニメのような鼻で笑っちゃうようなところがあると思っていて。

要するに見ていて怖い思いを最もしない映画でもある、ということにもなりかねない…ので、やれ場所を変え、やれどんなキャラクターがゾンビになるかを変えてそれに伴って人間模様を展開させてみて、それともじゃあ今度はどんなゾンビがいる体にしようかな☆みたいなスペック変更もありーの、で沢山のゾンビ映画が誕生してるのかなーなんて思っていた。

とか言いながらそもそもそんなにゾンビ映画観てないんですがね。

 

まぁ結局、人間の葛藤ドラマと社会のパンデミックへの対応でしかリアリティは出しにくいのかなーと。

 

例えば身内が誰かの犠牲になって死ぬ。

「ここは俺に(アタイに)任せてお前らは逃げろ!絶対○○を守れよ!」←なんならここに「ありがとな、お前がしてくれたことは忘れないぜ」的なセリフが入ったりする。(偏見)

 

あるあるなんだけどもちろんあるあるだからこの展開も勿論あって。

だけどそんなシーンで自己犠牲さんの身内が泣き叫んで〜みたいなところが案外さっぱりしてる。

生き物としての生への執着だよねーっていうトコあるよね。

かと思えば混沌とする状況の中で「もーこれ助からなくない?つか、なんでこんな状況下でお前ら助かろうと思ってんの?図々しくない?(笑)」的ないやーな悟りを開いてしれっと自爆ボタン押しちゃったり。(←なるべくボカして書くとこの表現しか見当たらなかった)

この、同一条件下の中でさらに類似事案にぶつかった時の人間の思考の個性とかすっごいリアルだな、と思った。そりゃ同一コロニーにいるからって分かり合える人たちばかりじゃないよ。

 

あと、ストーリーのスピード感を落とさないように「え?泣ける?でも泣いてる場合じゃないんすよ?(笑)」というメッセージを痛烈に感じるドライな作りが徹底してるところが素晴らしいなというね。パニックムービーに絶対いるめっちゃイヤな奴が「こんなに生き延びるのか!(笑)」とかね。

ストーリーの時間感覚とスピード感を「目的地への走行速度」に合わせている脚本も良くできてるなとも思った。

ドライさを貫きながらも、一応わかりやすく泣けるシーンもちゃんと用意されていて、もはや目的地へ急ぐことも出来ないシーンにそこをぶつけているなと感じて、ほぉ〜、と感心してしまった。

 

ラストは希望のようで、わたしは実は希望ではないと思った。だってあの歌…

 

余談だがおばあちゃん姉妹(妹)役の人がアンチエイジング系のお直しのしすぎなのかわからないけど、おばあちゃん役なのに、まるで志村けんのコントで若手のタレントがおばあちゃん役やってるみたいな異物感だったり、そういう細かいところだけど韓国っぽいなぁとか思ったのは内緒である。

 

 

 

 

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ピノキオ

たまにピノキオのことを考える。ディズニーアニメでも有名なあれ。
わたしはこのストーリーって、普遍的で凄く重要なメッセージが込められたストーリーだと思っている。

いまさらどんな話だっけ、と言えば

年老いたおもちゃ屋のゼペットさん(恐らく天涯孤独の身)の作った木の操り人形に、妖精が命を吹き込む。
お目付役のコオロギ、ジミニークリケットと共に様々な冒険の果てにピノキオは人間の子供になることが出来、ゼペットじいさんも大喜びで大団円。

みたいな。

ディズニー作品って、リトルマーメイドにせよアラジンにせよ、アナ雪にもそうだけど主人公と一緒に冒険する動物(アナ雪は雪だるまだけど)がいがち。
ピノキオではコオロギのジミニークリケットがそのポジションなんだけど、妖精がピノキオに命を吹き込む時にジミニークリケットに言ったのは
「あなたはこの子の良心となりなさい」
ということ。

つまりピノキオは命を吹き込まれて意思ある人形となるけれど、善悪の区別の無い超絶純粋な状態であり、世の中にある諸々の誘惑や悪行に拐かされぬようジミニークリケットが彼を人間とすべく正しい道へ導かなければならない。

わたしはこのピノキオとジミニークリケットの関係こそ、まさに親子の関係そのものだと感じている。
性善説性悪説もあるけれど、何も分からないまま人間社会に産み落とされる何万何億のこどもたち。
社会の中で生活するにはルールも道徳観もそこに適したものになるべく近いかたちを理解しないととても生き難い。

それを認知させる第一歩はやはり教員でも社会そのものでもなく、親である。

人間は人間に育てられて初めて人間となる、と言うけれど、わたしも概ねこの意見には賛成で、この言葉をストーリーに落とし込んだものこそがピノキオだと感じているのだ。

たまにホントに、ギャグか?と思うような親子連れがいる。
学生時代ドラッグストアでバイトしてた時に、店員の間で有名な親子連れがいた。
口紅を見れば開けて床にお絵描き。
お菓子を見れば開けちゃう。
出禁されてもおかしくないレベルだと思うのだが、この子がどう見ても5歳くらいで連れの母親はその様子を見て叱らないどころか止めない。
業を煮やした社員が母親に物申したら
子供が勝手にやった。
子供のすることだから大目に見ろ。
代金?払いませんけど。
ある意味凄い。ここまでの大物もなかなかいないとは思うが、ファミレスなんか行くと移動動物園か!とツッコミたくなるような親子連れがたまにいたりする。
そしてその様子を見るたび、わたしはピノキオを思い出す。
この子にはジミニークリケットもいなけりゃ人間の親もいないのね、と思ってしまう。不憫で仕方ない。

しかし、善悪の区別のつかなかったピノキオもジミニークリケットの苦労の甲斐あって人間の子供となれるわけだし、これはある意味子育ての区切りと見なすことも出来るわけで、アレはやだコレもやだとか生意気なこと抜かしてイヤイヤ言ってる子供さんたちも、いつかはもうちょっと素直になったりするんだろう。

つまり、ピノキオって子供を持つ親御さん達や、いつか子供を持つことを検討している大人たちに一度は観て欲しい作品なんです。
逆に、親の苦労や愛情をそこから見出して自身のご両親に対する気持ちを見つめ直す作品でもあると思います。

暇なクリスマスにDVDでも借りてみるか、なんて気持ちになった際には候補に挙げて欲しいな。
でも、わたしは子供の頃100回近く観たから、もうお腹いっぱいなので遠慮しますけどね。

加藤くんからのメッセージ

初日に観て参りました。
わたしの数少ないお友達が監督しておる、ということで、一度彼女のお宅で拝見させていただいておりましたが、映画館で観るとまたガラッと変わりますね。
この会場にいる人たちがこの映画に何を求めて観に来ているのか、そういったことを皆さんのリアクションから考えてみたりした次第であります。

こちらの作品はドキュメンタリーのため、あんまり書くとネタバレになってしまいますので、ちょっとだけ内容を。

早稲田大学卒業の契約社員加藤くんには夢があります。
その夢は、妖怪になること。
監督はこの加藤くんが早稲田大学ポエトリーリーディング(か演説か…判断に迷いますが)を行っている姿を見て、面白そうな人だ、と密着することにしました。
そんな加藤くんを約2年追いかけて撮られたドキュメンタリーです。

36にもなって、妖怪になるなんて途方も無い夢を各所で語り続ける加藤さんの姿はとても滑稽にも見えるし、笑われても決して妖怪になると言うことを止めない姿には親心のような心配を抱きかねないのですが。

加藤さんが妖怪を目指すことはブレない信念なのか、もう後には引けないということなのか、それとも他の可能性は…

人間は心に沢山の穴が開いているといいます。
作中の加藤さんはまさに穴だらけそのものの姿を私たちに見せてくれます。
その、埋まらない穴を埋める最適な方法は人の数だけあると思いますし、もちろんそれぞれの穴の数だけ埋め方もまたあると思います。
その穴からはマグマの如く、時折物凄いエネルギーが湧いてきます。
そういう、鬱屈した負のエネルギーをどこに使うべきか。
暗中模索の中で自分を見つめ、負のエネルギーを夢を叶えるエネルギーに変えてしまえる人はそうはいないと思います。
そんな中で加藤さんは過剰なほどの自己主張を続けて、夢に近づいてしまったように思えます。
この作品は、加藤さんそのものそうですが、加藤さんと関わる人々の証言もとても重要で、そこからまた加藤さんのカタチが浮き上がってくるところもとても面白いです。
まぁ、とにかく観ておいでよ。


余談ですが、初日公開後に監督及び加藤さんと映画にも出演されていた方やご友人の方々と朝までカラオケに行くという、かなりVIPなコースでしたが。
加藤さんはご友人の方々を筆頭に、人間が好きなんだなと思いました。
そして、みんなに愛されているなぁ、と。

少ししかお話し出来ませんでしたが、とても真摯に会話をする反面ちょっとズレてる感じもあって(…加藤さん万が一見てたらごめんなさい。)、みんなに叱咤されたり突っ込まれたり、でもみんなそんな加藤さんが好きなんだなと感じました。

「加藤さんはなんでもないただの人間であるというところを撮りたかった」と監督は何度も話していました。
それが加藤さんの求めるものと一致しているかはわかりません。
でも、わたしは確かに、なんでもない人間であることでの加藤さんの魅力が、そういう愛されているところに繋がっているのかなと思います。




イノセント・ガーデン

美術が素晴らしいと聞いたので観てみました。
美術は素晴らしかった。色味も大変アンニュイな雰囲気を醸し出していて、子供の頃の未知に対する畏怖のような気持ちをフラッシュバックさせるような、そんな映像美。

映像と脚本との相互作用が物凄くよかった。
他者が突然生活環境に侵入してくる違和感や気味悪さを上手く描いている。
それが例え未知なるものでなくても気味の悪さはどうにも拭えない。

いつか出会っていた懐かしいものは愛しくて恐ろしい。
なんだか時代遅れの歌を耳にした時、背筋が凍る思いをしたことがあります。
子供の頃、両親が不仲で母の家出に付き合わされていました。
運転が恐ろしく下手な彼女の操るセダンの後部座席で聞いていた、カーステレオから流れるJ-POP。
カセットは何度も何度も同じ曲を聴かせる。
夕暮れの眩しいオレンジの大きな太陽が傾く時、わたしの眠気はいつもピークで。
彼女も家出も諦め自宅に戻る最中、相変わらず後部座席でうつらうつら船を漕いでいるわたし。
あー。また事故!
彼女はまだ運転資格を有しているのだろうか。
懐かしいものは恐ろしい。愛しくなるのはわたしにはまだ先みたいです。



キャリー

超能力青春もの、といえば。
近年だとクロニクル?
でも忘れてはいけないです。

キャリーを。

2013年?のリメイク版もレンタルで出ていたので借りてきました。
そもそもキャリーってどんな話?といえば。
キリスト教にのめり込んでる変り者の母ちゃんと暮らすいじめられっこのキャリーが、秘めたる超能力に気付いてあんなことやこんなことをするわけです。
とにかく今回のキャリーはキャリー役のクロエモリッツ?可愛いです。
いじめられっこだし、変わり者として浮いてる存在なので虐待の挙げ句捨てられた犬みたいにキョロキョロして縮こまってる姿も可愛すぎる。

もう、ギュッとしたい。お風呂で洗ってあげたい。髪とか乾かしてあげたい。
それくらいキュンキュンです。

というか。実際観てからかなり時間が経過してるのでもう彼女の不憫な可愛さしか頭に残ってません。

あんなにキョロ充でも可愛いなんて…
コミュ障臭い不審人物気味のわたし、大嫉妬です。
可愛ければ何でも許される。
わかる気がします。

あー。でもアメリカのハイスクールのいじめってこんなに日本の小学生レベルのことするの?という疑問。

しょっぱいいじめシーンがまたクロエたんのかわゆさを引き立てるんだけどね。
はぁはぁ。

ニンフォマニアック vol.1

今日から公開なので朝一の回で観てきました。ヒューマントラストシネマ有楽町。

一人で来てたおじさん多かったな。

予告編ね


自称色情狂の女性がこれまでの人生をぽつぽつと語りつつ、行き倒れていた彼女に偶然出会い彼女を助けた男性がそれを聞く、という一代記モノのような。。。


ポスターのどれかに書いてあったけど。
性に目覚め、性に溺れ、愛を忘れた
みたいなの。

でもvol1を見た限りでは愛は忘れられてしまったわけではないような気もする。

つまり、花粉症を指す言葉がない国に花粉症は存在しない、の話とシンクロしてくるよね、てこと。
ジョーの世界での愛とは、嫉妬混じりの性欲が愛だ、という分析で語られていましたが、それ以外に愛を指す感情がなければそもそもジョーに愛なんて無かったんだろうし、と。


ジョーは時折ひどく自己否定的なことを言う。
罪人であるように自らを認識している。
何か得体の知れないものに罪状を突きつけられ、それに許しを得たいような本当によく分からない気持ちというのはすごくわかる。

ただ、こういう人たちは詰まる所、許されるのも怖いんだろうな。
例え罪人であったとしても何者であるかを認知される側の人間であることより、何人でも無い自分であることは途方もなく恐ろしいの。
誰にとっても無関心で居られることが、自らの存在の無に直結しているような感覚なんだろうな。

おそらく人間誰しも似たような感覚のものってあるんだとおもうけど。
親和性だったり共感だったり、いろいろごっちゃにしてもうめんどくせーから恋愛って形でいいじゃん!みたいなところに落ち着ければそれはそれでいいんだろうな。
現在進行形ならなおさらのこと、万が一終わってしまったものについても思い出せば何かしら心温まるシーンってあるはずだし。
そういう記憶とか経験ってなにより自身に与えてくれるものが大きいらしいから。
でもそこに頼らず生きることの迷いや不安なんかにすごくシンパシーを感じる。
そういう生き方をチョイスするジョーと、そういう生き方しか出来てない私では基本的要素が違いすぎるのかもしれないけど。
ジョーの不安定要素に基づく悲哀の気持ちを理解出来る人間がvol1ではまだ出てこない。
側から見たら滑稽で案外楽そうな生活だけど、彼女の生活がそう思われてしまうところに彼女の悲哀の真髄があって。
そう思われることにより、ますます孤独感が募るばかりなのだろう。

vol.1のラストでドキッとした。
全く何も無くなる瞬間って、やっぱりあるんだな。


なんて思ったり思わなかったり。
まだまだ明るい時間ですが、既に飲んでます。
ねれない→のむ→ねれない→のむ…
そもそもそんなに飲めるほうではないはずなので、まだまだ大丈夫だろうと思いながらアル中になるための通過点をゆっくりゆっくり辿っています。

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