ノリコのお布団で添い寝ブログ

ファンシーな煩悩のOLさん

ニンフォマニアック vol.1

今日から公開なので朝一の回で観てきました。ヒューマントラストシネマ有楽町。

一人で来てたおじさん多かったな。

予告編ね


自称色情狂の女性がこれまでの人生をぽつぽつと語りつつ、行き倒れていた彼女に偶然出会い彼女を助けた男性がそれを聞く、という一代記モノのような。。。


ポスターのどれかに書いてあったけど。
性に目覚め、性に溺れ、愛を忘れた
みたいなの。

でもvol1を見た限りでは愛は忘れられてしまったわけではないような気もする。

つまり、花粉症を指す言葉がない国に花粉症は存在しない、の話とシンクロしてくるよね、てこと。
ジョーの世界での愛とは、嫉妬混じりの性欲が愛だ、という分析で語られていましたが、それ以外に愛を指す感情がなければそもそもジョーに愛なんて無かったんだろうし、と。


ジョーは時折ひどく自己否定的なことを言う。
罪人であるように自らを認識している。
何か得体の知れないものに罪状を突きつけられ、それに許しを得たいような本当によく分からない気持ちというのはすごくわかる。

ただ、こういう人たちは詰まる所、許されるのも怖いんだろうな。
例え罪人であったとしても何者であるかを認知される側の人間であることより、何人でも無い自分であることは途方もなく恐ろしいの。
誰にとっても無関心で居られることが、自らの存在の無に直結しているような感覚なんだろうな。

おそらく人間誰しも似たような感覚のものってあるんだとおもうけど。
親和性だったり共感だったり、いろいろごっちゃにしてもうめんどくせーから恋愛って形でいいじゃん!みたいなところに落ち着ければそれはそれでいいんだろうな。
現在進行形ならなおさらのこと、万が一終わってしまったものについても思い出せば何かしら心温まるシーンってあるはずだし。
そういう記憶とか経験ってなにより自身に与えてくれるものが大きいらしいから。
でもそこに頼らず生きることの迷いや不安なんかにすごくシンパシーを感じる。
そういう生き方をチョイスするジョーと、そういう生き方しか出来てない私では基本的要素が違いすぎるのかもしれないけど。
ジョーの不安定要素に基づく悲哀の気持ちを理解出来る人間がvol1ではまだ出てこない。
側から見たら滑稽で案外楽そうな生活だけど、彼女の生活がそう思われてしまうところに彼女の悲哀の真髄があって。
そう思われることにより、ますます孤独感が募るばかりなのだろう。

vol.1のラストでドキッとした。
全く何も無くなる瞬間って、やっぱりあるんだな。


なんて思ったり思わなかったり。
まだまだ明るい時間ですが、既に飲んでます。
ねれない→のむ→ねれない→のむ…
そもそもそんなに飲めるほうではないはずなので、まだまだ大丈夫だろうと思いながらアル中になるための通過点をゆっくりゆっくり辿っています。

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